人の息づかいも無くなり、交番も撤退?する駅前。芦別駅 =失われし風景を求める旅(57)= わが町ご当地入場券購入記

根室本線 線芦別駅

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私のこの「旅」のテーマは、「失われし風景を求める旅」というものです。

鉄道の駅を訪ねながら、その駅前やその都市の一番「賑やかだったころの風景」に思いを寄せる・・・というか、残り香を探して訪ね歩く・・・というものです。

ここ芦別駅は、それ(喪われし風景)を最も強く感じる駅なのです。

美唄、砂川、滝川、赤平、そして、ここ芦別・・・空知の各地は、訪れるたびに私を「産炭華やかなりし時代」に誘い、寂しくなっている現在(今)/現実を目の当たりにさせられるのです。

◆最盛期は7万人、今は1万2千人の人口

まずはこの2枚の写真を見てみましょう。

空知振興局 そらち炭鉱(やま)の記憶フォトギャラリー ・・・より (転載に関しては空知振興局様の許可を頂いております。振興局、高井主査ありがとうございました)

芦別駅

これは芦別駅ではなく、おそらく上芦別駅と思われます。

炭鉱の所長さんの交代による「送別」の列とのことですが、とにかくホームからあふれんばかりの人・人・人。

そして2枚目

炭住

芦別の「炭住」

 

下の写真は、果てしなく、どこまでも続く「住宅の屋根、また屋根」。

どちらも、沢山の人々の生活の息吹が伝わってきます。

そして、今の芦別駅前。

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クルマの通りが無く、パチンコ屋さんはシャッター、そして、そのお隣の桜肉料理店もシャッターを下げ・・・

なんと、

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駅前の交番が「閉鎖」されていました・・・・交番が不要になる?とは、それだけ、駅前に事故や犯罪、そうしたリスクが亡くなっているという事を意味するのでしょう。

1958年(昭和33年)には、人口は75000人だったとのことで、それが、50年の歳月を経て、一気に1/6以下に・・・

 

 

 

 

石炭産業振興という国策で空知に人が集まりました。

採炭だけでなく、選炭や、移送輸送に、石炭というのはとにかく人手を要する産業だったようですね。

採炭場/選炭場から運ばれる石炭は当然鉄道を利用して、一旦芦別駅に集まります。

荷捌きの人が沢山必要になり、駅員も沢山必要になる、人がどんどん集まります。

人が集まると、食堂、飲み屋、パチンコ屋、喫茶店・・・・などなど、が商店街を形成します。

すると、その商店街を目当てに人がまた集まる・・・

昭和20年から30年にかけては、芦別駅前は人であふれかえっていたことでしょう。

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ちょっと角度は違いますが 空知総合振興局「そらち炭鉱(やま)の記憶フォトギャラリーから、もう1枚お借りして見ると。

駅前には、モニュメントがあり、大型バスから沢山の人々が駅に、そしてクルマに・・・

下の写真は今の芦別駅・・・人の気配が無く、とても静か・・・

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広い広い待合室が、かつては大勢の人々を収容する待合だったことを表しています。

(夏でもストーブ、撤去されていませんね)

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出札口(きっぷを買う窓口)が3つあるのがわかりますか?

出札口が2つまでは、結構どの駅でも普通だったのですが、3つとなると、かなり大きな、沢山の人々が出入りするような駅で無いと3つは持っていませんでした。

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無人の改札をくぐり、ホームへ。

多くの人々や貨物を捌く必要から、ホームは非常に広くなっています。

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富良野方面を望みます、一直線の鉄路が美しいです。

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振り返って、滝川(赤平)方面を望みます。信号扱所・・・今も使われているのでしょうか?多分使われてはいないのでしょうね・・・

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やっぱり広めの階段を上って跨線橋に上がります。

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やっぱり通路も広い!

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床は板張り、歩くと軽くキシんだ音がして、なんとも懐かしい香りがします。

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富良野方面。

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滝川(赤平)方面。

ホームに降りて、側線(のあっただろう場所)を撮影

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今は、側線は一本しか残されていませんが、この先奥の奥まで、少なくとも5本以上の側線がここにはあったそうです。

5本以上の側線となると、相当広大な敷地だったことでしょうね。

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駅名標、この先がずっと側線だったようです。

振り返り、改札側のホームを望みます。

駅の外から見るより、構内から望んでみるとこの駅が意外にスケールが大きい事が良くわかります。

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再び跨線橋をのぼり、改札側に戻ります。

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やっぱりホームは広く、駅舎はゆったりとしています。

石勝線が出来るまでは、帯広・釧路方面に向かう特急・急行・快速・普通列車、全ての列車がここに停車したとのこと。そら、広さも必要だったのでしょう。

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名所案内

黄金の水松?樹齢3000年の木?樹齢3000年って・・・・見てみたいものですね。

1日9往復の列車が発着するようです。

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メインの出札口

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やっぱり、ちょっと寂しい風景ですね・・・

 

結局30分以上滞在して、私以外の人には合う事は出来ませんでした。

かつて、ここは、間違いなく、多くの人々による、騒がしいほどの喧騒と、賑やかさがあったはずなのです。

でも、今は、余りにも静かすぎて、その賑やかさと騒がしさを想像する事が難しい・・・

 

タイムマシンがあったら、私は、昭和10~20年代くらいの空知、美唄、砂川、滝川、赤平、そして、この芦別に来てみたいと思うのです。

今からは想像も出来ない、信じられないくらいの賑やかさと、当時の風を感じてみたいと思うのです。


静かな、静かな場所は、そして、交番をも必要としなくなってしまったのです。

 

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◆追記

どうしても再訪して、追記しておきたくて芦別駅を再訪しました。

追記したかったこと1つ目は(↓)これ。

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信号扱所とその奥にある照明塔。

信号扱所は、沢山の転轍機(ポイント切り替え機)があり、それを「監視および操作」する場所・・・ということで、現在側線などの切り替えがほとんど行われていないため、まず使われてはいないだろうとの事でした。

そして、照明塔。

これは私は、赤平駅、岩見沢駅、白石貨物操車場で見たことがあります、岩見沢や白石では、特に白石では、夜、照明塔に照らされる貨物列車達を毎日見ていました。これが灯くと、多分キャッチボールが出来る位明るくなるのです。

この照明塔がある・・・ということは、そして、それがハンパ無く高いのは、それだけこの敷地が広かったという事の証明でもありますね。

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左端に駅舎が見えます。右端に水路がありますよね?その間が全て側線で埋められていたらしいのです。おそらく10本以上はあったのではないでしょうかね?

メッチャ広いです。

そして、歩王さん のページから拝借した写真。

数年前の芦別駅前。

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五重の塔が駅前にあったのですが・・・今は、

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五重の塔は撤去されてしまい、何となくさみしくなり、ついでに交番まで撤去?されてしまったわけです。

年々歳々、芦別は寂しくなってしまいます・・・

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芦別駅

営業時間:6:45 ~ 15:00

休業日:土曜・日曜・祝日および年末年始
6月18日

(6月18日って芦別に何があるのでしょう? 笑)

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このブログ記事について

このページは、よしかわゆういちが2021年7月 1日 22:17に書いたブログ記事です。

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