激しい沖縄戦のさなか、放火をさけて住民は洞窟に避難をしていた。
そこへ日本軍兵士が
「軍がこの豪を摂取する」
と、乗り込んできたとのこと。
先に避難してきていた人々の中には、生まれて間もない赤ちゃんと、その母親。
暑さと湿気と不衛生な環境、絶え間なく鳴り続く放火・・・
赤ちゃんは眠れるはずもなく、むずがり、泣く。
「泣くと敵に位置がばれる!おとなしくさせろ!」
情け容赦の無い、兵隊からの命令・・・
豪の中にはほかにも住人がいる、迷惑をかけられない母親は、泣き叫ぶ子供を抱えたまま、放火のやまない外へ・・・・
しばらく続いていた赤ちゃんの泣き声は、その後、いつのまにかしなくなったという・・・・
赤ちゃんは?
その母親は?
残された周囲の人々は?
戦争の相手ではない、味方のはずの、自分たちを守ってくれるはずの軍人から、
情け容赦の無い命令を受けて、
この親子はどういう運命をたどったのか・・・
母親はどうしたのか・・・赤ちゃんは・・・
その場に思いを寄せると、言葉を失い、気持ちの整理がつかなくなった・・・・
戦争とは、戦争とは・・・かくも人を人で無くさせるものなのか・・・・
私が知っていた教科書で読み、先生から教わった沖縄戦の中では想像もできなかった情景が、私の目の前にあった・・・
戦争とは、こうした慈悲の無い、「人と人との殺し合い」でしかない・・・
間違いなく、沖縄のどこかで起き、それはきっとここだけの話ではなかったのだろうと・・・
先に訪れた ひめゆり でも思った全く同じ思いが・・・
ここには何の救いも無い、なにひとつ無い・・
沖縄戦の実相にふれるたびに
戦争というものは
これほど残忍で これほど汚辱にまみれたものはない
と思うのですこの なまなましい体験の前では
いかなる人でも
戦争を肯定し美化することは できないはずです戦争をおこすのは たしかに 人間です
しかし それ以上に
戦争を許さない努力のできるのも
私たち 人間 ではないでしょうか戦後このかた 私たちは
あらゆる戦争を憎み
平和な島を建設せねば と思いつづけてきましたこれが
あまりにも大きすぎた代償を払って得た
ゆずることのできない
私たちの信条なのです
ここは平和「記念」館などではなく、平和「祈念」館なのだ・・・
頭を冷やすためにしばらく外へ出てみた・・・
目も覚めるような青空に、碧い海、とてもここであんな惨劇が繰り返されたとは想像もできない・・・
戦没者の方々が一人一人名前を刻まれている・・・
20万人以上というその数字にも絶句してしまう・・・
深呼吸し、頭と心を冷まして、もう一度入館。じっくりと展示物と向き合う。
軍による住民虐殺?の記録もあるとのこと。やや報道が偏っているきらいもあるのだとか。確かにあまりにも戦争否定・・・その視点だけで物事を見て判断すると、若干偏ることもあるかもしれない。
しかし、ここで起こった事実から、目をそらすことも、また出来ない・・・
一通り見終わって館内を出ると2時間以上経過していた。
改めてエントランスを撮影
入口
周囲はものすごく広い公園になっている。
平和を祈念する塔が・・・
沖縄はまた訪れたいと思う。
そして、ひめゆりと、ここは改めて訪れてみたいという思いを強くした。
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