不完全な人間だからこそ惹かれるのか? 村上春樹 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年を読む

村上春樹 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

 

文藝春秋 1875円

◆しかし、不思議な本である

他者に投影することでしか、自己の姿を確認出来ない自分。つまり、「相対的にしか自己を確認」できない姿がそこにある。

自分で自分自身を確認する、「絶対的な自己を確認」しようとしても、
それがうまく出来ない。(それは、ある日突然の衝動的で抑えることの出来ない性欲や、強烈な嫉妬に表出される)

他者に投影することでしか自己を確認出来ないから、スクリーンとなる他者(友人達/恋人)が存在しないと、自己の確認のしようがなく、深い混乱に陥り、最後は死に向かう。

4人の親友との親密な友情が育まれている内は、当然そこに投影されている自己を確認することができるので、安定した生活が送れる。しかし、突然、その親友と切り離されてしまったが為に、自分自身を見失ってしまい、死ぬことだけを考えるに至るのが、ここでの主人公の「つくる」である。

神ではないのだから、人間は不完全なものである。不完全な姿がむしろ自然と言えるのかもしれない。

しかし、村上が紡ぎ出す数多の作品の主人公達は、あまりにも不完全で不安定な人が多い。
人の自然な姿を描こうとすると、いや、人の内面世界を突き詰めて行くと、究極の不完全に行き着くのであろうか?

その位、本作の「つくる」も不完全さが際立つキャストではある。

恋人に「自分を取るか、ライバルにその座を奪われるか」結論は数日後に出すと言われていても、それを待ちきれず、深夜に一方的に電話をする姿などは、完全に常軌を逸しているとも言える姿である。盲目的な姿に、ほほえましさを感じるどころか、むしろあきれてしまう処すらある。(笑

しかし、何故だろう、何故かこの作品には惹かれてしまう。何度も読み返してしまう。


自分の人としての不完全さ、自分の心の奥底の不安定さが共鳴してしまうのだろうか?

不思議な作品ではある。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.yo4.jp/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/878

Powered by Movable Type 5.02

ウェブページ

このブログ記事について

このページは、よしかわゆういちが2013年5月 4日 03:41に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「カバー4曲聞き比べ To love you more アナタはどれがお気に入り?」です。

次のブログ記事は「岩内から千歳を経て、北見へ!出張日記」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。